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バースデイ

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オープンハート今朝web拍手で、

そういえば今日って黒崎朱浬の誕生日ですね。

と教えてもらいました。わー、ありがとうございます!!
覚えていてくださった方がいて嬉しいです!

というわけで本日3月14日は、アスラクラインの朱浬さんの誕生日でした。
そうそう、朱浬さんは3月生まれなんですよね。智春が5月生まれという設定なので実はあまり年齢差がないのです。だからなんだってこともないのですが……。

たまたま今日は(税金やら何やらの関係で…)来客があってケーキを用意していたので、せっかくなので誕生日っぽくお祝い。グラマシーニューヨークの「オープンハート」。ホワイトデー限定商品だそうです。
実は僕は甘いモノがあまり得意ではなくて、お菓子類をもらうとかなりの高確率で賞味期限切れにしてしまうのですが、これは美味しかったので無事に完食しました。苦手なわりには今年はケーキを食べる機会がやけに多くて自分でもびっくり。ブログ用の写真が撮れるので助かりますが。

以下はweb拍手返信です。

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気分転換

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船ちょっとお疲れ気味だったので、気分転換を兼ねて久々に外出してきました。とりあえず本屋巡りをして資料本を30冊くらい購入。後先考えずに買いまくってたら、あまりの重さに持ち運べなくなって、途中から仕事場に宅配便で届けてもらうようにしました。で、誰がいつ読むんだろうこれ……。

うちには長年かけて堆積した未読本が今も大量に積まれてて、毎日休みなく読み続けても2〜3年は余裕で保ちそうな感じなのですが、それでも欲しい本が見つかると衝動的に買ってしまいます。もしかしたら何かの病気なのかも。買い物依存とかそういうの。とはいえ積まれてる本の表紙を眺めているだけでも、けっこう楽しいんでまあいいか。一年くらい仕事サボってこれずっと読んでられたら幸せだろうなあ。ニヤニヤニヤニヤ。

そのあと楽器屋を回ってギターを何本か試奏して、結局ピックアップだけ買って帰ってきました。今まであまり使ってなかったフェンジャパのストラトにつけてみる予定。ハンダゴテ使うの久しぶりだ〜。
いやその前に原稿書かねば。

鳥ここ数日、雑用のあまりの多さに精神的に少し参っています。
ようやくプロットが完成して原稿を書く気になっていたところなのでダメージがでかいです。〆切前に雑用の依頼があるということは、当然、原稿よりもそちらを優先して処理して欲しいということなのだろう、と勝手に解釈。まあそういうことならべつにいいか。

というわけで、ちょっとしたコメントなどを求められるのが苦手です。
なかなかわかってもらえないことも多いのですが、原稿の文字数と執筆の苦労は比例しません。小説を1本仕上げるよりも、100文字くらいのコメントを書くほうが楽とは限らないのです。和歌よりも俳句のほうが簡単とか、陸上競技の短距離走者が長距離走の選手より楽してるってことがないのと同じで。いやそれはもちろん原稿をタイプする手間は、文字数少ないほうが楽ですけれども。
Twitterのつぶやきだって、それが雑誌に載って全国で売られる、とわかってたら何を発言するか相当迷うと思うのです。そういうものを今日中に寄越せとか、あまり気軽に言わないで欲しいなあ。
(いやたぶん依頼してきたほうは、特に面白いことを書けとか期待してはいないんだろうけど)
(でも、ひと言お願いします、って突然言われてサラッと気の利いたことを言える人はすごいと思う。尊敬。そういうレベルを求められても困るが)

そんな感じでコメント嫌いの理由を意味もなくグチってみました。
最近、不平不満が多いなあ。いかんね。

作家のマナー

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はと Fly Free作家さんのブログやTwitterを見てると「俺はこういうスゴイことを考えながら作品を書いてるんだ」という趣旨の発言を繰り返している方がたまにいて、まあ、親切っちゃあ親切なのかもしれないけど、見ててちょっと居心地の悪い気分になります。いやだってそれ、芸人さんが「今のギャグは何が面白いかというと……」と言って解説を始めるのと同じだし!

そういうのを見てしまうと、この人はそうやって「言葉」で軽々しく説明できるくらいの浅い考えでやっているのだなあ、と思ってしまうのです。いや実際のところはどうなのかは知りませんけれども。本当は心にも思ってないことでも、なにか戦略的な目的があって、あえて浅薄な発言をしてるのかもしれないしね。

ところで棋士の羽生善治氏が、著書の中で「(対局)相手は敵であると同時に(将棋という)作品の共同制作者であり、自分の個性を引き出してくれる人ともいえる」と書いておられました。
それを読んで、僕は、素敵な考え方だなーと思ったんですよ。
これはたぶん小説も同じことではないのかと。

小説の場合は見た目は単なる文字の羅列なわけで、その面白さを理解するためには、それを読んだ人にイメージを膨らませてもらわないといけないわけです。つまり作品を作ってるのは作家だけではなくて、読者も間違いなく共同制作者なのだと思います。

で、将棋の相手に向かって対局中に「俺はこういう考えで駒を動かした」とか「だからきみはこう指しなさい」とか言う棋士は普通いませんね。そういうことが許されるのは指導将棋だけ、つまり相手を格下に見てる場合だけだと思います。

それと同じように「俺の作品はこういうふうに理解してくれ」と作家が言うのも、やっちゃいかん、ということではないけど、マナー悪いなあ、と感じてしまうのです(僕はね)。
もしかしたら作者が何を考えていたのか知りたい、という読者もいるのかもしれませんが、それを作品の中で伝えるのが作家の仕事なんじゃないの、と個人的には思います。そのために苦労して何百ページも書いてるわけだし。自分の作品の解説なんかはなるべく書きたくないなあ。

それで結局なにが言いたかったのかというと、仕事でそういう自分の作品の解説コメントなどを求められると書くことがなくて本当に困る、という愚痴でした。そんなのべつに語りたくないから、どうせならもっと面白い質問をして欲しいゼ。

はとふだん社会に貢献するようなことを何もしてないので、せめてブログでは誰かの役に立つことを書きたいと思っているのですが、残念ながら他人様に伝授できるようなスキルって作家にはあまりないんですよね。プログラムの技術とか料理のコツとか、そういう潰しの効く知識があればよかったんだけど。

多少なりともほかの職業の人々よりも経験値が高くて普遍性があるスキルといえば、強いて言えば「アイデアの出し方」くらいかな、と思います。
インタビューなどでも「どうやって作品の着想を得たのか」ということは、よく訊かれますし。実際アイデアを思いつくというか、ひらめきのようなものを感じる機会は多いです。
それがどんなくだらないネタであれ、ひらめいた瞬間には、パズルの最後の1ピースがピタリとはまったときのような爽快感があります。

もちろんそういうひらめきを効率的に得るには、それなりの方法がありまして。

これはもう、すごく単純な方法なんですが、発想法としてはわりと多くの人が気づいていない盲点なのではないかと思います。実は僕自身つい最近まで、ちゃんと理解していませんでした。

その方法というのは、

えーと……

「長い間集中して考え抜く」

そ、それだけです。うわー……つまらないオチで本当に申し訳ない。
やっぱり書かなきゃよかったかな。

でもあたりまえの話なんですけど、パズルの最後の1ピースをはめこむためには、その前にそれ以外の膨大な数のピースを全部並べておく地味な作業が必要なんですよね。

 ある日、アルキメデスは風呂に入り、水の中に身を沈めた瞬間、水位が上昇したことに気付きました。これにより、物体の体積と重さからその比重を計算できるという、問題の新たな見方がひらめいたのです。彼は裸のまま「ヘウレーカ!」(判った!)と叫びながら通りを駆け抜けていきました。それを見た通行人はとまどい、あきれかえりながら、彼が何を理解したのかと訝しんでいたことでしょう。
 ニュートンのリンゴの話と同様に、この話で見過ごされている部分は、アルキメデスが風呂に入るまでに、問題の解決策を見つけ出そうとしてさまざまな努力と失敗を重ね、相当長い時間を費やしていたという点です。
(『イノベーションの神話』)

さすがにそれだけではあんまりなので、もうひとつ裏技として……

「考え続けるのをやめない」

というのも覚えておくと、ひらめきの回数が圧倒的に増えるのではないかと思います。
最後の1ピースをはめこんだからといって、パズルが完成したとは限りません。同じピースを使ってもっと美しいパズルが作れるかもしれませんし、それは実はもっと大きなパズルの一部分かもしれないですし。
たとえ正解に辿り着いたと思っても、ほかの正解を探すのをあきらめないこと。

かの天才科学者、アルバート・アインシュタインはあるとき、「博士と、私たちのようなその他大勢との違いは何ですか」という質問を受け、こう答えました。
「たとえば、干し草の山から針を探さなくてはならないとします。あなた方はたぶん、針が1本見つかるまで探すでしょう。私は、針が全部、見つかるまで探し続けると思います」
(『スウェーデン式アイデア・ブック』)

というわけで、やっぱり誰の役にも立たなかったような気がしますが、ひらめきの話でした。

たぶんないだろうけど、もし万が一需要があれば、もうちょっと具体的な「アイデアの出し方」なんかも、そのうち紹介したいと思います。では。