カテゴリー : 2010年 3月

ピックアップ交換

ST62最近あまり弾いてなかったFender Japanのストラトキャスター、ネック周りのリペアに出したついでにピックアップを換えてみました。

フロント:Seymour Duncan Little ’59(SL59-1)
リア:Seymour Duncan Hot Rails(SHR-1)

両方ともシングルサイズハムなのでいきなりHSH仕様ってことに。
Little ’59はクセがなくて扱いやすいです。シングルコイルから乗り換えても違和感が少なめ。Hot Railsのほうは、とりあえずパワーがあるよ〜って感じ。使い道が限定されそうなんだけど、こういう音が欲しかったので満足してます。

それよりもなによりも見た目の下品さが素敵。こういうセンスの悪いのが好きなんですよ。
ギターの改造楽しいですね。死ぬほどハマりそうな予感。死ぬかも。

ダンタリアン箱

ダンタリアン箱直接の参考文献というわけではないのですが、『ダンタリアンの書架』のシリーズを開始する前にイメージを固めるために読んでいた資料たちです。
普段は箱詰めして倉庫に突っこんでいます。通称"ダンタリアン箱"。
同じような箱が現在ほかにも何個かあって順調に増殖中。たまに新作執筆時に引っ張り出してくるのですが、実はそれぞれの本の内容はあんまり覚えてなかったり。記憶力、なにそれおいしいの?
某ヨーロッパの島国関連の資料が多いのですが、『ダンタリアンの書架』の舞台はいちおう架空の王国ということになってたりするのでよろしく。フィクションですよ。

やる気〜でろ〜

花作業が煮詰まって精神的にキツい日々が続いていたので、現実逃避的にギター教室に行って小一時間ほど何も考えずにタブ譜追っかけてたら、いつの間にか悩んでた部分がうまいこと整理されて何とかなりそうな気がしてきました。気分転換って大切だなあ。

あとは時間との戦いなのですが、現在やってる仕事に関しては実はモチベーションのほうが今イチ。もともと年間の予定に入れてなかったイレギュラーな作業だったので、引き受けてしまったことを後悔しています。早く新作を書きたいのに。
気が乗らない仕事だからといって手を抜くようなことはないのですが(むしろいい作品を書くこと以外に楽しみがないので必要以上に凝ったことをしたくなる)、テンションが上がらないので集中力は途切れがち。なので楽しくない作業の時間が長引くことに。ただ今回の件でさすがに懲りたので、これで満足できる結果が出なかったら、次からは迷わずに断れるな。さっさと終わらせて念願の新作に取りかかろう。

昨日の強風はどうにか収まったみたいです。無事に咲いていた花を見かけたので、思わず撮影。
逆風の中でも頑張っちゃうタフな子は応援したくなりますね〜。見習おう。

以下はweb拍手返信です。
web拍手以外のメッセージのお返事については時間に余裕がなくてなかなか難しいのですが、遅くなってもいい、という方は気長にお待ちいただければと……

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嵐と原稿

スタバ新作の執筆が順調に行き詰まってます……。

原稿用紙で50枚くらいの短編を書く予定だったのですが、最初に予定していたストーリーだと250枚くらい書かないと終わりそうにないことが判明。いくらなんでもネタを詰め込み過ぎてしまったみたいです。というわけでエピソードをばっさり半分以下にまで減らして、プロットを再構築しなければ……!
って、うわー、今から全部やり直すのかー……。
いっきに時間の余裕がなくなってしまいました。間に合うのかなこれ。奇跡起きてー!!

そんな感じで、今はこの作品のことで頭がいっぱいで日記のネタがないのですが、窓の外がものすごい風で大変なことになってますね。外出される方はどうかお気を付けて〜。

被害者の正義と物語

Flower東京都の「非実在青少年」問題(GIGAZINEさんのまとめはこちら)について、SF作家の山本弘さんが、

「非実在青少年」規制:目に見える形で反論を提示する

というエントリーを書かれています。
とてもいい記事なのでなるべく多くの人に読んで欲しい、と思う一方で、実はこれだけでは十分ではないのではないかとも感じます。

僕がこの問題に関して嫌だなあと思うのは、規制に賛成している人たちが(そしておそらくは規制に反対する側も)「自分たちが(青少年を健全に育成するという、あるいは表現の自由という)正当な権利を踏みにじられた被害者」であると主張しているように感じられることでした。

もちろん「非実在青少年」問題に関する現在の条例案の条文については「っざけんな」って感じですけどね。でも、その条文がどんなに不条理で危険であるかを指摘しても、たぶん推進しようとしている人たちの「被害者の正義」は覆らない。

頭のいい人たちというのは、得てして感情論で騒いでる人たちを、正論で説得、あるいは論破しようとしてしまうのだけれど、それだけでは他人は動かせないと思うのです。

少年犯罪によって家族を奪われた人々が「少年犯罪の厳罰化」を訴えているときに、「少年犯罪は増えていない」という統計的なデータを突きつけて彼らを説得できるか、というのを考えてもらえば、その難しさが想像できると思います。

今回の「非実在青少年」規制についても、僕は同じような難しさを感じます。

もちろん客観的なデータは大切なものだけど、それだけでは「被害者の正義」は揺るがない。
自分たちが「青少年を健全に育成するという権利を踏みにじられた被害者」であるという、おそらくは心地好い「物語」を信じている規制推進派に耳を傾けてもらうためには、反対する人たちも、同じくらいわかりやすい「物語」を伝える必要があるのだと思います。

この国には暴力的でエロティックだけれども名作と呼ばれるに足る作品が無数に存在します。
それは『デビルマン』だったり『エヴァンゲリオン』だったり、あるいはBLだったり名もないエロ同人誌だったりするのかもしれないけれど。それらに接したことで救われたという若者もたくさんいるはず。少なくとも僕はかつてその中の一人でした。
孤独や人間関係に苦しんだり、未来に絶望したり、肉体的にも精神的にも追い詰められたギリギリの状態で僕の支えになってくれたのは、いつだってそういう猥雑で残酷な物語でした。

それについて語るのは、もしかしたら僕たちにとって、もっとも傷つきやすい柔らかな部分をえぐられるような苦痛を伴うかもしれないのだけれど。
けれど目の前で傷ついて血を流している姿を見せるまでは、きっと「被害者の正義」を振りかざしている人たちは、自分たちが「加害者」でもあることに気づかないと思うのです。

安易な表現規制によって傷つくのは「表現の自由」などという抽象的な概念ではなくて、血肉を持った個々の人間だということに(そしてその多くが無力な少年少女であるということに)、たぶんまだ多くの人が気づいてない。

だからといって「自分の言葉で実体験を語れ」なんて偉そうなことは言えないんですけどね。それがどれだけ怖いことなのか、自分でもよくわかるので。

ただ「物語」を紡ぐということならば、「作家」を名乗る僕らのような人間がもう少しがんばらなきゃだよなあ、と感じているのです。いや、社会風刺みたいな作品は書かないけどね(書けないし)。

まあ、とりあえずそんなことを思っていますということで。

最後に、昨年亡くなった評論家・中島梓さんの著書から引用させてもらいます。

私が一番怖いのはマトモな人です。私が一番キライなのは偉い人です。私が何より苦手なのは立派な主婦のかたと自信たっぷりのおっさんです。そういう人、つまりは由緒正しいお父さんとお母さん軍団のために私たちはこんなに苦しまなくてはなりませんでした。私たちは誰だって本当は父殺し、母殺しを夢見ている子供部屋の奴隷たちだったのではないでしょうか。かわりに女高生を監禁したかもしれない。かわりに幼女をバラバラにしたかもしれない。父を殺し、母を殺す金属バットを持つ力がなかったのだから。そういったら父や母はどれほど驚くでしょう。そして叫ぶでしょう。〈我々の何が間違っていたのか〉と。そう、彼らはきっと間違っていなかったからいけなかったのでしょう。父よ、母よ、あなたたちはいつだって正しかったのだから。

苦しんだことのない人、自分が苦しんでいると認めようとしない人にこの本は何も必要ないでしょう。そういう人にはこれは有害で不快な本であろうと思います。十二年かかって私はようやく、有害で不快な本を書けるようになったことがとても得意です。(『コミュニケーション不全症候群』筑摩書房)

ふう……柄にもなく真面目なことを書いたので何か異様に恥ずかしいゼ。

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